top of page
トルコ共和国 Republic of Turkey

01

プロポーズの返事はコーヒーで

トルコにはプロポーズの答えをコーヒーで出すという変わった習慣もあります。

女性が男性を気に入っていれば美味しいコーヒーを出し、

気に入らなかった場合、塩を入れてマズいコーヒーを出すのだとか。

2015年      11

02

くしゃみのときの決まり文句

トルコではくしゃみをしたら、必ずくしゃみをした人に「チョク ヤシャー」と声をかけます。

直訳すると「長生きできますように」、日本でいうところの「お大事に」的な文句です。

これを言われた人は「セン デ ギョル(あなたも長生きできますように)」もしくは「ヘップ ビッンリキテ」「ヘップベラーベル(皆も長生きできますように)」と返答します。

2015年      11

03

はさみの迷信

はさみが開いたまま置いてあると、その場所で喧嘩が起こると言われています。

 

また、はさみを渡すときは手渡しをしてはいけません。

必ず一旦、下に置いてから相手に取ってもらわないと、その2人の仲が切れてしまうとも言われています。

2015年      11

04

120年以上前から続く日本とトルコの友好関係

和歌山の串本町にあるエルトゥールル号の博物館をご存知ですか?

1887年、日本の皇族がオスマン帝国皇帝に謁見しました。

その答礼として、1889年、トルコが650名の使節団を乗せた軍艦エルトゥールル号を日本へ派遣しました。

使節団は1890年、11ヶ月かけ横浜に到着後、明治天皇にトルコからのプレゼントを届けました。

同年9月にトルコへの帰路へと着きましたが、折しも日本は台風の季節。

和歌山県沖で、強風と高波に襲われ、沈没してしまいました。

その時、和歌山の日本人がトルコ人を助けて、自分たちも十分にない食料などをトルコ人と分け合って、皆トルコに帰るまでに、お世話をしました。

この時、使節団587人が死亡する大惨事となった一方で、近くの村人たちが総出で救出にあたり、69人の命が救われました。

 

この話はトルコの小学校の教科書に載っています。

その為、トルコでエルトゥールル号の話を知らない人はいません。


こうやって日本に感謝しているトルコは1985年にお返しのチャンスがありました。

イラン・イラク戦争が始まったときに、どの国の飛行機もイランに行きたくありませんでした。

しかし、イランに残ってしまった日本人215名を、トルコ航空の飛行機が向かいに行きました。

 

2015年      11

05

悪霊退治には目の力

トルコでは、ねたみ深い人から出る悪霊や邪視が人にとりつき危害を加えると信じられています。

これらの災難をのがれる為、トルコ人は邪悪なものをにらみ返す「ナザールボンジュ」をお守りにしています。
 

悪いもの全てが目の威力により打ち砕かれ、青いガラスによって反射し撥ね返されます。

これにより私たちの身を安全に守ってくれるものとして信じられているのです。

赤ちゃんが生まれた時、新しい車を買った時、家を建てた時、事業を始めた時等、新しいものや人が羨むようなものには悪魔がすぐに目を付け悪さをしてしまいます。

そのため人々は悪魔がやって来る前にすぐに「ナザールボンジュ」を購入し、身に付けたり、飾ったりします。

これにより悪魔やが来ても「凶眼の魔力」により悪魔を追い払うのです。
 

「ナザールボンジュ」の起源は古く、現在見つかっている最古の文献は紀元前3世紀頃のシュメール人の時代のもので、シュメール王家の墓からはメノウ製の「目」が発見されました。

 

トルコに伝わるある言い伝えによって、目の力が信じられるようになりました。

昔、ある海の近くに大きな大きな岩がありました。

それは100人の男が力を合わせても、ダイナマイトを爆発させても、決して割れないほどの大きな岩でした。

その海の近くには、凶眼の持ち主と言われていた男も住んでいました。

村人達は岩を砕くために、どうにかこうにかその男を岩の見えるところに連れて行きます。

そして、その男は岩を見たとたん、『わぁ、なんて大きな岩なんだ!!』と叫ぶと同時に、その巨大な岩は音をたてて真っ二つに割れてしまいました。

これは、『大きな岩』という羨望の眼差しが巨大な岩に届き、悪の力で、もはや『大きな岩』ではなくなるようにしてしまった、という話です。

悪の眼差しに打ち勝つためには巨眼の魔力、要するに「眼には眼を、歯には歯を」といった感じに「ナザールボンジュ」で立ち向かうというわけです。

 

「ナザールボンジュ」はトルコのお土産として非常に有名で、大小、デザイン別にいろいろな種類があります。

守るものの対象に合わせて目玉の大きさを選ぶのが良いとされています。

玄関先には大きな目玉、自動車には中くらいの、携帯ストラップには小さい目玉といった感じです。

目線より高いところ(2mくらいのところ)に飾ります。

2015年      11

06

大分寛容なイスラム教

トルコではイスラム教徒が大半を占めていますが、意外なことにお酒には大分寛容です。
酒類を提供するレストランは多く、酒屋だけでなく、スーパーや売店でも酒類を扱っています。

街中には一般的なビアホールも存在します。


きっかけになったのは1923年のトルコ革命。

初代大統領ケマル・アタテュルクが、宗教と政治を分離しなければトルコの発展はありえないと考え、政教分離を行いました。

憲法からイスラム教を国教とする条文を削除し、アラビア語の筆記方法に代えてアルファベットを採用。

一夫多妻性を廃止。

1934年には女性参政権を成し遂げました。

政教分離は徹底され、大学など公の場ではスカーフを着用することも禁じられています。

その中で飲酒も、通常のイスラム教では禁止されていますが、トルコではその点に関しても大分寛容になりました。
 

イスラム教の戒律が厳しい国の人たちから見れば、これらトルコの社会は、同じイスラム教国として信じがたいものかもしれませんね。

2015年      11

07

ナイフの手渡しは決闘の合図

トルコでは、ナイフの手渡しはマナー違反です。

というより、ナイフの手渡しは決闘の合図となるので、絶対に避けましょう。

うっかり手渡しすると相手から殴りかかられてしまうかも・・・。

2015年      11

bottom of page